今週末はいよいよ秋のサッカー合宿である。仕事の方もこれに合わせるように、困ったことにちょっと立て込んできている。
進むかと思えば止まり、止まったと思えば進むを繰り返してきたのだが、期日は迫って変わることがないのは困りものだ。
合宿に備えて仕事で無理はしないでおこう、後が恐い。
で、一昨日の夜のことだが、デビッド・マドセン「グノーシスの薔薇」(角川書店)を読み終えた。いつものように駅前のBook ○ffでセール期間中に550円で購入していたもの。3年ほど前、出たときに書店で見かけて気になっていたので、このセールを機会に購入したのだ。
お話は、ルネサンスが全盛を迎え、富と権力を蓄えたヴァチカンが絶頂を極めた時代。時の教皇はメディチ家出身のレオ10世。このレオ10世に使える繻子ペッペの手記という設定である。
当然、ペッペはレオ10世の表の面から裏の性癖とそれが引き起こしたおぞましき病、歪んだ性格などなどを逐次、記録している。その他、自らの出自とグノーシスという教義にはまったことと、それを導いた女性、師匠との関係等、歴史の虚実を交えながら、かなり下世話に描かれている。
いかがわしさを押し出した書き出しでつかみはOK、といったところなのだが、レオ10世がらみがダラダラと続き、変化に乏しい。色々おこるのだが、それ自体にペッペは関係していないことが多く、基本的に傍観者。
異形のフリークスたちを取り込んだ異端グノーシスの秘密教団の部分は、ペッペも当事者として、深~く関わっているのだが、中心となって事を起こすでもなく…。
グノーシスの秘技や聖職者の男色、絶倫のラファエロなどなどエロでグロなお話が次から次へと出てくるのだが、ただ出てくるだけ、ほとんど次の展開にそれが関連づけられている感じがしないのは、気のせいか…?
邦訳タイトルの「グノーシスの薔薇」は適切ではない、原題の直訳「グノーシスの小人の日記(追憶)」のほうがいいと思う。
火あぶりになる女性と最後に登場する少女が「薔薇」というわけかなぁ?
結局、何が描きたかったのか…、ちょっと評価し過ぎじゃかろうか。どちらにしても中途半端、人間の内面をえぐったつもりでその鑿は作者の表面をえぐってしまったようである。
その後、著者には2作があるようだが食指は動かない。主人公、表現、時代どれをとってもセンセーショナルなことを第一としたような…宣伝文句に引っ張られない方がいい。
「荘厳さ」いう面では「薔薇の名前」に失礼、「面白さ」では、「ダ・ヴィンチ・コード」の方が上と書いておこう。まあ、550円でよかったと思う事にしておこう。