J.クロウリー「エンジン・サマー」読了

Engine Summer この週末も何となく疲れがたまっているのか、寒くて気持ちがめげているのか、どちらという自覚はないが、さっぱり気持ちが後ろ向きな日々。
 ただ、その分お借りしている「太王四神記」のDVDをガッツリ鑑賞、これでBS2の放送に追いつき追い越した。やっぱり韓国のお話は登場人物たちの「思い込み」がすごい。それが、壮大な歴史スケールで描かれるところに、この作品の醍醐味が…。

 そんななか、金曜にジョン・クロウリー「エンジン・サマー」(扶桑社ミステリ)を読み終える。以前、福武書店からハードカバーで出ていた幻想SFの名作のなんとカバーも以前と同じ絵を使った形での復刊。
 以前は、ハードカバーということもあって軽く見送っていたが、今回はばりばりの新刊で購入。同時購入は、P.ドハティー「神の家の呪い」と高城高「風の岬」。

で、「エンジン・サマー」である。このタイトルからしてピンと来る人は多いと思うが、この作品を書いた頃(1970年大後半)は80年代のブラッドベリといわれたとかいわれなかったとか…。
 つまり、カチガチのSFではなく、ファンタジー色の強いジャンルとしてはSFという内容なのだ。

 舞台は、遠い未来のアメリカ。地球は「嵐」と呼ばれる災害?に見舞われ、その文明のほとんどが失われてしまっている。そして、その文明の名残は、「天使」が残したものとして、人々に細々と利用されている。
 主人公で物語の語り手は、「しゃべる灯心草(ラッシュ・ザット・スピークス)」という名の少年。変な名前であるが、彼の父親は「七つの手」、母親は「ひとこと話す」といった塩梅。

 古の天使の時代や「聖人」の物語に心ひかれ、自らも物語を語るようになる事を望んだ「しゃべる灯心草」が、ふるさとを捨てた自分の愛する少女「一日一度(ワンス・ア・デイ)」を追うように、生まれ育った故郷を離れ成長の旅に出る。

 そこここにちりばめられたモノ・人、事は、色々な寓意が込められているらしいのだが…、ただ、文明を手放しゆっくりとした時間の流れのなかですぎていく時間は、ノスタルジックでおだやかな気持ちにさせる。
 さらに、思わぬ結末で一瞬「?」な状態になるのであるが、それは冒頭部分をちゃんと読み込んでいればというところ。

 読む人の嗜好によって、評価が両極端に触れる可能性が大きい作品だと思う。個人的にはもう少し若い頃、大学の頃に読めばかなり嵌まったかもしれない。かといって、50を前にしたオヤヂには…という作品では決してない(ちょっとややこしい表現だが)。
 お次ぎは、高城高「風の岬」。

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